その他の「平成進化論」バックナンバーを見る
見本8
【2378号 駅売りの新聞を全紙購入した理由】
■いまでも鮮明に思い出すことがあります。
それは今から約8年前、
忘れもしない2002年7月21日の夕方、
営業先から会社に帰る途上のこと。
■駅の売店で売られている新聞の見出しを見るともなく
見てみると、なんと!
すべての新聞の1面トップ記事に
「ワールドコム破綻」とか
「アメリカ史上最大の経営破綻」とか、
デカデカと書いてあるではありませんか。
■そう、この
<ワールドコム>
とは当時、私が勤めていた会社です。
マンガみたいな話ですが、自分の勤務する会社が
つぶれたのを地下鉄の駅売店で売られている新聞で
知ったのです。(笑)
■そのとき、私は咄嗟に、
それらの全国紙ならびに夕刊紙、全種類を買いました。
「こんなこともあった」と、いつか、語れる日が来る。
その証拠をしっかり残しておかなければ!
瞬間的に、そう思ったから。
■会社が倒産したと知った瞬間、
脳天を割られたような衝撃が頭のてっぺんから足先までを
貫いていきました。
しかし、その直後、私はこうも考えたのです。
「しばらくは厳しくなるかもしれないけれど、
人生にとってまたとないチャンスになるかもしれないぞ」
と。
実際こうして、8年後の今、その出来事をよい思い出として
(そして時に酒の肴として 笑)喜んで語っているわけですが、
当然、そのときは大変でした。
いえ、大変などという言葉で表現できるような
ものではなかったのです。
■その当時から、たくさんの本を買ったり、
いろんな人との関係づくりのために会食したり、
数千円の安い講演会から、年間で数百万円といった
高い高いセミナーにも行ったりしていましたから、
なにしろ、お金がありません。
■それに当時は大阪に住んでいましたから、
東京の1日5万円のセミナーに出るにしても、
往復の交通費、宿泊費、そして参加者との懇親会とかを
含めたら10万円くらい軽くいってしまうのです。
しかも、そんなことを毎月何度もやっていた訳です。
だからお金が溜まるはずもなく、
ほとんど貯金ゼロの状態でいきなり失業。
そこで再起を期して東京に出てきたのです。
■そんなところから何年間か、
それこそ死にものぐるいの生活を送りました。
労働時間は、1日15時間~多いときだと
ほんとに19時間くらい。
とくに最初の1年なんて、1時間ないし1時間半くらいの
仮眠を、1日に2~3回とって、
いま昼なのか、夜なのか、ワケのわからないような状態で、
夢遊病者のように動きまわっていました。
「このまま心臓が止まってしまうのではないか」
「脳の血管がブチ切れてしまうのではないか」
と本気で思ったこともあります。
■しかし、この最大最高に負荷をかけていた時が、
今、振り返ってみると私の人生の中でも
最も思い出深い時期の一つとなっているのです。
そして、このときの思い出は
おそらく生涯を通しての宝物となるでしょう。
■そのときの私には、カネもコネもなければ、
能力も実力も、地盤も知名度もなんにもない。
まさに、ないないづくし。
けれども
【 未来に対しての希望 】
だけはありました。
だから、やっていて、苦しいという感じは
ありませんでした。
それどころか、毎日、これ以上ないほど楽しかったのです。
■ところで、会社が倒産した日に購入した新聞各紙は、
今も大切に事務所に保管してあります。
そして今日、お伝えしたように
「こんなこともあった」
と語れる日がきたのです。
今となってはこれらも「最高の宝物」になっています。
明日に続けます。
【今日のピークパフォーマンス方程式】
■勤務先の倒産を(駅売りの夕刊で)知ったとき、その瞬間は
驚いたし、その後、数年間は毎日十数時間、心臓が止まるか、
脳の血管がブチ切れるか、と思うくらいに働いた。
■しかしそれが苦しいとは思わなかった。むしろ楽しかった。
■お金も実力もなかったけれど、未来に対しての希望だけは
あった。希望さえ失わなければ、どん底からでも復活できる。
その他の「平成進化論」バックナンバーを見る