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6264号 しょせん、この世はどうにもならぬもの

■その昔(よく知りませんが、今でも?)、
 某保険会社の広告に

 「よーく考えよう お金は大事だよ」

 という文句がありました。

 お金が大事、というのは
 本当にその通りだと思います。



■なんだかんだいっても、

 生きていくのに
 やっぱりお金は必要です。


 たしかにお金、お金と言うのは、

 伝統的な価値観からみれば
 下品かもしれませんね。



■しかし

 「お金について語るのは、
  あるいは考えるのは下品」

 という思いにしたがい、

 お金に無頓着で、いい加減に扱って
 いるうちに手元から失われ、困窮し、


 そこで初めて血相を変えて
 お金、お金、お金、、、

 と言う人があったとしたら、

 「その姿は、なお下品」

 ということにはならないでしょうか。


 お金、お金と言うのが
 下品なのだとするならば。



■親族に石油王がいるとか、

 海外宝くじがあたって、手元に
 数十億のカネがある、

 とか、そういう人であれば、

 (きちんと管理さえできれば)

 おそらく死ぬまで、
 お金、お金という必要もないし、

 鷹揚に構えていたらいいでしょう。



■しかし、この先行き不透明極まる
 時代にあって、

 お金についてフォーカスを
 当てるのが下品、

 という考えに固執してしまうと、


 もし手元から失われた際に

 きちんとお金と
 向き合ってこなかったために、

 お金との付き合い方が分からぬまま
 現状と向き合わねばならなくなる。



■その上、悪いことには

 「お金にこだわることは下品」

 という、

 長い時間をかけて自分が編んできた
 信念によって自縄自縛状態に陥り


 「お金に困っているのに、
  お金に真剣に向き合えない

 (向き合ってはいけないという
  自己認識から逃れられない)」

 こととなり、

 にっちもさっちもいかなくなることが
 本当にあるのです。



■そして、今の世の中にあっては
 予期せぬことが起こり、

 そうなる可能性はゼロではない、
 どころではなく、相応にあるものです。


 少なくとも私(鮒谷)は
 そのような状況に陥りたくない、

 (今、格好をつけることで、将来、
  格好悪い状態にはなりたくない)

 と思っています。



■ここで話は大きく変わりますが、そして
 いつも書いてきたことですが、

 私(鮒谷)は

 「(自称)自伝研究者」

 の顔も持っております。



■分野問わず

 「人の一生」

 より具体的に言うならば

 「生まれてから晩年に至るまでの
  環境と心境の変化」

 について、

 子供の頃からどういうわけか
 強い関心を抱いて生きてきました。



■このメルマガの配信自体も、
 私(鮒谷)が自身を観察対象として

 「私の一生」


 より具体的に言うならば

 「生まれてから晩年に至るまでの
  環境と心境の変化」

 をリアルタイムで紡ぎ続けている
 観察記録、

 と言えるのかもしれません。



■少し話がそれましたが、

 小学生時代(当時は歴史上の人物に強い
 関心がありましたが)から今に至るまで、


 インタビュー記事や履歴を振り返る
 エッセイや自伝的小説まで含めると、

 おそらく、のべ数千の単位の

 「人の一生について語られた物語」

 に触れてきました。



■私(鮒谷)が昔から、
 そして未だ紙の新聞にこだわるのは、

 ニュースが読みたいからではなく
 (それだけであればネットで事足りる)、


 上記に記したような

 「(それなりの推敲を経て届けられる)
  広義の自伝」

 を、家にいながらにして、

 朝刊と夕刊を通じて、
 ネット検索する必要もなく、

 朝夕、自動的に大量供給されるから。



■20代の頃は新聞を5誌、
 取っていましたが、

 (ものすごい勢いで溜まっていくので
  新聞を捨てるのが大変でした)

 今はさすがにそこまで読む時間も取れず、
 日経新聞しか取っていませんが、

 当時から新聞を購読する
 一番の目的はそこにありました。



■日経新聞に目を通すだけでも毎日、
 『私の履歴書』やら、

 『文化面の奇人変人コーナー』

 ※すみません、私が勝手に名付けました。
  もちろん良い意味で用いています。
  日経の中で最も好きなコーナーです。

 やら、


 『私の課長時代』というコーナーもあれば、
 インタビュー記事やらコラムやら、

 厳密に数えたわけではありませんが、
 毎日平均して7,8個から10個くらいは

 「自伝的なるもの」

 には触れているのではないでしょうか。



■もちろん、

 生まれ落ちてより今日に至るまでを
 相応の文章量でもって語られている、

 そんな長編自伝は

 『私の履歴書』

 くらいしかありませんが、


 ダイジェスト版的な意味合いもある、

 たとえば『こころの玉手箱』みたいな
 コーナーや、


 人生の一部だけ切り出して
 回顧している、

 先にも挙げた『私の課長時代』みたいな
 ものもあるので、

 「大小合わせた、
  自伝的なるもの」

 という意味では、

 やはり相当な数、毎日、
 触れているのは間違いありません。



■日経新聞一紙だけですら、
 これだけのインプットがあるのに、

 過去に読んできた
 その他自伝、あるいは評伝まで含めると、

 それこそ膨大な数の人生に

 「擬似的に」

 触れてきたわけです。


 ※たとえば直近に、
  読んだ自伝・評伝だけを挙げても

  『反省記
   ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ
   僕が、ビジネスの"地獄"で学んだこと』

  『安藤忠雄ー仕事をつくる』

  『昨日と違う今日を生きる』

  『ヴァイオリニスト 今日も走る!』

  『ならずもの 井上雅博伝
   ──ヤフーを作った男』

 などといったものがあります。



■これだけ大量に他人の人生を
 観察していると、いやでも

 「パターン認識」

 できるようになってくるものです。

 「人の世や人生の類型」のようなものが
 浮かび上がってくるのです。



■こうした過程を経て、

 【先人の人生から導き出される教訓を
  自らの行動指針(意思決定基準)とする】

 ことが、

 私(鮒谷)の意思決定基準の
 根幹をなすものとなったわけですが、


 そんな自伝渉猟活動の中において
 極めて初期に気づいたのが

 【生まれてから死ぬまで、
  順風満帆で終わる人生は存在しない】

 ということでした。



■これは私(鮒谷)にとっての
 大きな気づきでありました。


 以前からメルマガをお読み下さって
 いる方であればご承知の通り、

 「私は心配性(必要以上に恐れすぎる)の
  きらいがある」

 と思われるような、思考と行動様式を
 もって生きてきました。



■しかしそれには理由があり、

 私(鮒谷)としては
 けっして心配性なのではなく、


 備えている一つ一つについて

 「決して無視できない
  発生確率である」

 という認識でいるから、

 各種のリスクに対して
 最大限の備えをしているだけの話です。



■では、なぜそのような
 認識を持つに至ったかというと、

 おそらくは、

 最近のものばかりではなく
 明治時代以降からの数世代に渡る、

 たくさんの自伝に触れてきたからだと
 考えています。



■典型的には、

 たとえば暇を見つけて読み進めてきた
 『私の履歴書』

 (全集を買って、
  時系列順に読んできました)

 の連載は、昭和31年から
 始まっているのですが、

 だいたいこの当時に出ていた人は、

 明治10年代から20年代あたりの
 生まれなんですよね。



■当然、その人たちは、

 第二次大戦を然るべき立場で
 経験しているわけですよ。

 「一生にして二生を経る」

 という言葉は『文明論之概略』に記されて
 いる福沢諭吉の有名な言葉ですが、


 福沢諭吉のみならず、

 明治から第二次大戦以降を
 生き抜いた人もまた

 「一生にして二生を経た人」

 と言えるでしょう。



■こうした自伝に数多く触れつつ、

 現在進行系で語られる自伝にも
 継続的に触れているので、


 少なくとも数世代、
 100年以上に渡って

 「時代の流れと個人の人生・生活」

 を俯瞰的に観察してきたから


 「頼りになるものなどなにもない
  (=心配性にならざるを得ない)」

 という信念が形成されたのだと
 自分では理解しています。



■一世代の身の上観察だけでも
 変転極まりないのに、

 それを数世代の単位で眺めてみると
 本当にもう、嫌になるほど

 「変化、流転こそが常態」

 であると分かります。


 米もしそうでない人生を送れれば、それは
  僥倖に恵まれたといえるでしょう。



■たとえば、
 平和な時代は長続きしないとか、

 個人の生活は国際社会や国内政治、
 あるいは景気の変動によって、

 簡単にぶち壊されてしまう、
 (一切、当てにならない)

 といったこと。



■あるいは、

 縁や運やタイミングを掴み、

 あっという間に成功スパイラルに
 入る人もあるかと思えば、


 次の瞬間には、

 時代が変わった、制度が変わった、
 法律が変わった、といった理由で、

 どれほど興隆を誇った人や一家でも
 あっという間に没落すること。



■これらはすべて、
 数多くの自伝を通して学んだこと。


 こうして生きていく上での
 大前提としての

 「所詮、この世は
  どうにもならぬもの」

 という諦念が生まれ、


 だからこそ

 「あらゆることが起こりうる世界であり、
  人生、という開き直りの気持ち」

 という

 【究極の精神安定化装置】

 をも手に入れられたのだと
 思っています。



■と同時に、ただ諦めるのではなく、


 第一段階として、
 徹底的に備える、

 その備えを突破されたら、

 第二段階として、
 ポジティブな意味での諦念、

 つまり

 【究極の精神安定化装置】

 を発動する、

 という順序で、とはいえ
 出来うる限りは備えよう、

 そんな気持ちで毎日を
 生きてきたつもりです。



■長々と書いてきましたが、

 なにかを意思決定する際には
 ほとんど無意識に、


 上に挙げたような形で、

 一旦、無数の先人の人生(場合によっては
 ファミリーストーリーまで)

 に思いを致し、


 そこから普遍性があると思われる
 ルールを取り出し、

 (それが繰り返されるとやがて
  「思考が型化される」こととなる)

 そのルールに基づき、
 日々、決断を下して生きています。



■おそらくは外から見ていると
 こうした

 「無数の先人の自伝からの教訓」

 と

 「落穂を拾うという営み」

 の間には何の関係も見いだせないと
 思います。



■しかし私(鮒谷)にとっては、
 両者は密接不可分の関係があるのです。


 人生、どんなことがあって
 失脚、転落するか分からないし、

 そのときに恥ずかしげもなく、

 地を這い、泥をすすってでも
 生き抜ける、


 そんなゴキブリも驚くほどの
 生命力や生活力を、

 平時のときから強化しているからこそ
 何事も起きていないときにも安心できるし、


 万一、なにかが起こったとしても
 即時対応ができるに違いない、

 という構造になっているわけです。



■繰り返しますが、

 もしあなたの親族に石油王がいるとか、

 海外宝くじがあたって、手元に
 数十億のカネがある、

 ということであれば、

 (きちんと管理さえできれば)

 おそらく死ぬまで、
 お金、お金という必要もないし、

 鷹揚に構えていたらいいでしょう。



■しかし、そうでなければ、

 たとえ客観的、相対的に
 それなりに恵まれているはずの人でさえ、

 「一寸先は闇」

 というのは、


 それなりの数、自伝に触れれば、

 まったく珍しくなく、
 いつでも起こりうること、

 と理解されるはずですので、


 もし、次の瞬間、そうしたことが
 起こっても飢え死にしないように

 「最悪、落穂を拾ってでも
  生き延びる」

 というトレーニングを今のうちから
 行っておくとよいのではないでしょうか。



■私(鮒谷)は、

 今日、明日、
 全財産をふっとばされても、

 次の瞬間から落穂を拾って
 何がなんでも生き延びますし、

 生き延びられると思っています。


 これまでさんざん、

 「落穂ひろいのトレーニング」

 を重ねてきたからです。

 ※『落穂ひろい音源』においては、
  このことを

  「ビーチフラッグのたとえ」

  で語っています。



■滅多なことは起こらなんだろう、
 ということであれば、

 運を天に任せて生きるのも
 一つの考え方でありましょう。



■しかし私(鮒谷)は、


 明治維新において武士の、あるいは
 先の大戦後において経営者や商店主としての、

 営々として築き上げてきた
 既得権が一夜にして剥がされる、

 そんな歴史を(擬似的に)
 目の当たりにしてきたからこそ、


 なにかあったときに、

 「武士は食わねど高楊枝」

 なんて強がりたくはないし、

 それなりの生活をしていた人が
 農家の人に頭を下げて、

 着物一振りと米一升を交換し、
 みたいなことにもなりたくないので

 「何が何でも生き抜く生命力」

 を強化してきました。



■いつ失われるかわからない
 自分の名前とか、

 作り上げたビジネスシステムに
 一切、頼らなくても

 【落穂を誰よりも早く拾う力】

 を鍛えてきたつもりです。



■なので、

 現状でも満足、さらに
 非常事態に陥っても生き抜ける、

 そんな自信と安心に
 満たされています。



■その上に練り上げてきた
 (そして今なお、練り上げている)

 【人生に対するポジティブな諦念
  (最後はどうにもならぬところ)】

 という二段構えで生きているから、

 いたって平穏な精神で
 日々を過ごさせてもらえています。



■そんな状態を作り上げるための
 重要な構成要素(パーツ)の一つが

 【落穂を拾う能力】

 であるわけです。



■長々と背景文脈を語ることによって
 ようやく私(鮒谷)がなぜ、

 熱く、強く、

 【落穂を拾う能力】

 について語り続けてきたのか、

 多少なりともお分かり頂けたとすれば
 嬉しく思います。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■しょせん、この世はどうにもならぬもの。    どれほど頑張ったところで、逆らえぬ    運命があるのである。   ■だからといって諦めるのではなく、    1、まずは徹底的に備えておく    2、その上でいよいよとなったら、      あるがままを受容できるよう、      普段から心を練り続けておく    の二段構えで対応することによって    平時のときも、危急のときも、    ある程度まで穏やかに過ごせるのでは    ないだろうか。   ■合わせて、全てを失ったときにも、    即座に生計を成り立たせる力    (=落穂拾う力)も強化しておければ、    より一層の、精神的な安定を確保できるに    違いない。

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