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6239号 母親と1時間以上の長電話をしていて思い出したこと


■数日に一度ないし、
 最低でも週に一度は、

 実家に電話を入れています。

 昨日も電話したら、
 1時間以上も切らせてくれず、

 しゃべる、しゃべる、
 しゃべる、しゃべる、、、笑



■それにつけても、

 どこどこまでもエンドレスで
 話し続けようとするのは、

 どこの母親も同じなのでしょうか。

 よくもこれだけ話すことがあるものと
 いつも感心しています笑


 反対に父親は、
 最短・最速で切りたがる。

 これもどこの父親も同じような気も。



■親にはこれまで、

 さんざん迷惑をかけてきた&
 恩義を受けてきたので、

 せめてもの償い?親孝行?のために
 これからも続けていく習慣。



■たくさんの恩を受けてきましたが、

 当時は自覚なくとも、今となって、
 改めて有り難かったとつくづく思うのは、

 相応の水準の教育を
 受けさせてもらってきたこと。



■当時は当たり前と思っていましたが、
 決して当たり前ではありませんでした。


 一般には決して治安が良くないと
 言われる「大阪」の中でも、

 さらに治安が悪い(?)エリアに
 生まれ住んだので、


 (なので小学校時代の友人は、

  あえて具体的には書きませんが
  今から考えると、とてつもなく

  「多様性」

  に富んでいました)


 仲の良かった一人の友人を除き

 「中学受験?なにそれ?」

 という感じでしたが、

 そんな中、中学受験の機会を
 与えてもらえたのは僥倖でありました。



■小学5年生の途中から
 塾に通い始めたのですが、

 この年代はとてつもない
 吸収力(記憶力)がありますから、

 見るもの、聞くもの、
 すべて頭の中に格納されていきます。



■とりわけ言葉に興味のあった
 私(鮒谷)は、

 四字熟語辞典やら
 ことわざ・故事成語辞典やらを、

 好んで読んでいたのですが、


 今、用いている語彙の
 8割から9割くらいは、

 中学受験時代に獲得したのではと
 思われるくらい。



■中学に入ってから、

 ほとんどの同級生が小学3年生とか
 4年生から塾に通っていたと知り、

 驚いた記憶がありますが、


 とにもかくにも、

 (上述のような環境の中で)
 中学受験の機会を与えてくれたのは、

 振り返ってみても、
 人生にとってのターニングポイント、


 であったようにも思います。


 (もちろん地元公立校に進学しても、

  また違う人生の展開の仕方が
  あったと思いますが、

  同時に二つの人生は生きられないので
  それについて言及しても詮無きこと)



■話を戻すと、

 受験勉強には当然、
 お金がかかるわけですが、

 決して潤沢にお金があるわけではない中、
 私というキャラに精一杯の

 「課金(!?)」

 してくれたことによって、


 中学入学以降、
 新しい世界の扉が押し開かれ、

 いろんな出会いやら経験やらが
 一気に押し寄せることとなりました。



■以降、紆余曲折はありましたが、

 私立の中学、高校を経て

 「東京での私立大学進学
  &一人暮らし生活支援(仕送り)」

 まで課金し続けてくれました。



■より正確にいうと、

 大学を留年して、激怒され、
 途中で課金がストップしたのですが、

 それはまた別の話(笑)



■なにはともあれ、

 そこまで教育や経験の後押しを
 してくれたことによって、

 少なくとも私(鮒谷)という人間の
 基盤ができたことは間違いありません。



■ここで一つ補足しておきますが、


 そういう意味では
 私は相対的に見ても、

 教育を与えようという意思を持ち、
 さらにはそれを実際に行ってくれた、


 という点で、親に恵まれていたことは
 間違いありません。



■と同時に、

 世の中には、そうした機会に
 恵まれない方があることも、

 理解しているつもりです。



■これについては昔から
 いろいろと考えることがあり、

 出来る範囲ではありますが、
 応援していることがあるのですが、

 今日の本題ではありませんので
 語りません。



■本日はあくまで、

 教育機会に恵まれぬ方が少なからず
 いらっしゃることは知っているけれども、


 今回はそうした話とは切り離し、
 私(鮒谷)自身の体験を通して

 「教育を受けることによって広がり、
  開ける世界がある」

 ことをお伝えしたいと思い、
 記した原稿となります。


 あらかじめお断りしておきます。



■再び、話を戻しますが、

 こうして一定の教育支援を
 両親から受けてきたわけですが、


 大人になってからは
 親が教育支援をしてくれる、

 ということはなくなりました。
 (当たり前)



■そんな中、

 人生において数多く、
 「しでかし」をしてきましたが、

 唯一、自分で自分を褒めてやりたい
 ことがあるのです。



■それは社会人になってからも
 引き続き、

 自分に教育投資を
 (今度は自分のカネで)

 行い続けたこと。



■幼少のころの教育投資は
 少年時代から青年時代にかけて、

 数々の直接・間接の価値を
 もたらしてくれますが、


 青年時代、ないし
 社会人初期段階の投資もまた、

 壮年時代以降の人生に、

 (時間の経過によって
  分かりにくい形にはなっていますが)

 実のところ、
 かなりダイレクトに反映されます。



■端的に言えば、

 早くから学び続けてきた人は
 年数の経過とともに、

 さまざまなものに
 恵まれるようになるし、


 社会人になってから
 ピタッと学びを止めてしまった人は、

 ある時期までは、
 それまでの学びの貯金によって、

 惰性で、ダラダラと蓄えを
 消費しつつ豊かさを享受しますが、

 いつか蓄えが尽きる時が訪れます。



■そのときに愕然としても、
 もはや手遅れ。

 壮年時代における学びが
 老年時代において同様に反映されていく、

 ということもあるでしょう。



■老年時代の学びが
 晩年時代の運命に反映される、

 ということもあるのかも
 しれませんね。

 (このあたりのところは
  未だ想像できませんが)



■いずれにしても
 何を言いたかったのかというと、

 「教育は大事である」

 ということ。


 もちろん、カネのかからない
 教育投資も多々あります。

 と同時に、

 良い悪いではなく、
 現実問題として、

 カネをかけることで得られる
 学びもまたある、

 ということです。



■高校・専門学校・高専・大学、
 さらには大学院の進学や留学、

 語学習得、資格取得、企業研修、
 講演やセミナーに参加、

 本を買う、音源を買う、

 これらみんな

 「課金要素」

 がありますよね。



■いろんな理想論もありますが、
 きれいごとを抜きにすると、

 少なくとも今、現在はそうなっている、

 ということであれば、


 10年20年、世の中の変革を
 待っているわけにもいかないので、

 自分にできる精一杯を行う以外、
 ありません。



■、、、と、

 私(鮒谷)は考えてきたし、
 そのつもりで、

 特に20代は、

 世間一般に言われるような、
 いわゆる遊びのためのカネはほぼ使わず、


 周りの友人知人が楽しそうに
 遊んでいるのを横目で見ながら、

 ギリギリ最小限の衣食住以外は
 可処分所得に重課金の圧をかけて、

 学びに全振りしてきました。



■結果としては、

 「一か八かの大博打に勝利した」

 ので万々歳。


 今から考えれば、実は

 「一か八かの大博打」

 ではなく、


 期待値で考えたら、

 「一を投下すれば十返ってくる、
  絶対確実なイカサマ博打」

 を打っていただけなんですけどね(笑)

 当時は気づきませんでしたが。



■学びに突っ込んでいたときは、
 そんなことは分からないので、

 つねに恐怖や不安や焦りや心配の
 感情とともに生きておりましたし、

 とにもかくにも、カネがない。



■でも、

 筋肉が裏切らないのと同じように、
 学習も裏切りません。


 遅効性ですが、じわじわと、
 そして確実に、効いてくる、

 と分かった瞬間から、

 すべての恐怖や不安や焦りや心配の
 感情が溶けるように消えました。



■なんだか、今日のメルマガは、

 思いついたことを
 適当に書き連ねただけになりましたが、

 何を言いたかったかというと

 「学びましょう、
  学びは裏切りませんから」

 ということに尽きます。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■世の中には課金なしで学べることもあれば    課金によって学べることもある。    良い悪いではなく、ただ、それが現実に    起こっているという事実があるだけだ。   ■その事実に基づき、各人がそれぞれの    意思決定をするしかない。    その現実に介入しようとする、    熱く強い思いを持っている人は、    社会制度の変革に人生を賭ける、そんな    選択肢ももちろんあるだろう。   ■しかし、その選択肢を選ばないのなら、    所与の条件の中でベストと思われる解を    探し、実戦するしかないではないか。   ■課金しなければ学べないことがあるのなら    課金すればいいのである。    課金するカネがなければ、カネがないでは    なく稼げばいいだけの話。   ■その努力はしたくないというのなら、    学びに対して、そもそもそこまでの価値を    感じていないということ。   ■少なくとも、自助努力が効かぬ、ある年齢    よりも若い、あるいは幼い人に対する    教育支援は絶対に必要なのはもちろんだ。   ■しかしいい年をした、一定水準以上の    知能や身体等の諸条件に恵まれた大人が、    カネがないことを言い訳にして    学ばないのは、    単なる知的怠惰であり、さらには、    自分や家族の人生に対する無責任、    などといったら、言い過ぎか。

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