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6232号 司馬遼太郎で、ぶっこいた男


■誰かがあなたに向けて
 無自覚に放った言葉が、あたかも

 「ホールインワン」

 のように、ストンと
 潜在意識に入ってしまい、


 それが信念として
 確立されてしまう、

 そんなことが
 往々にして起こります。



■特に幼少期において、


 大人から良くも悪くも無自覚に
 投げかけられた一言が

 (その言葉を放った当人も、
  放たれた側の人間にも自覚なく)

 ダイレクトにインストールされ、

 「私はこういう人間である」

 と自己規定されることが
 あるのです。



■このメカニズムが良い方に進むと
 最高です。


 たとえば私(鮒谷)は
 小学校1年生の頃だったか、

 自宅でついたお餅を
 食べ終わったあと

 「お餅の歌」

 というのをノートに
 綴ったことがありました。



■内容は

 「お餅、お餅、美味しいなあ、
  一つ食べたら、なくなったけど、
  もう一つあるからいただきまーす」

 みたいな
 たわいもないものでしたが、

 この歌詞に節をつけて歌っていたら、
 なんと両親から大絶賛(笑)



■今から考えたら、
 なんということもない歌ですし、

 親がただ、わが子可愛さに
 褒めてくれただけだと分かりますが(笑)


 当時はそのあまりの褒められ具合に、
 子ども心に

 「自分は天才なんじゃないか!?」

 という思いが
 芽生えたものでした。



■それと同時期に、

 もう一つ、強烈に
 思い出として残っているのが、

 小学校で『カエルの歌』の替え歌を
 作るという授業があったときのこと。


 そこで私の作った作品(?)が
 栄えある一等賞に選ばれる、

 という事件がありました。



■クラス全員からのの、
 満場一致での選出、

 しかも、その作品を担任の先生が
 絶賛してくださったということ、

 ということも相まって、

 以降、しばらくの間、
 クラスの中でヒーローであったのですが、


 こうした出来事もまた

 「私は実は
  すごい男なんじゃなかろうか」

 という妄想を育む肥料と
 なりました。

 (特に「言葉を編む」という分野に
  おいて)



■その後、

 歴史(戦国時代、ありがちですね)に
 関心を持ちはじめ、

 小学校3年生の頃、父親から
 そろそろ大人向けの本?も読めるかも、


 ということで手渡されたのが、

 池波正太郎の
 『信長と秀吉と家康』でした。



■今から考えても小学3年当時の
 私(鮒谷)の読解力や知識からは、

 これ以上の難易度の本であれば
 難しいし、


 とはいえ、

 時代背景その他の基礎知識は
 既に一定程度、頭の中にあったので、

 比較的、平易に
 書かれた本でもあるので、


 その知識をとっかかりとしながら
 読み進めたらそれなりに読める。



■というよりも、

 案外、面白く読み進められるし、
 子ども時代は大人みたいに、

 本は最初から最後まで
 通して読まなければならない、

 みたいな変な思い込みもないので、


 面白いところだけ
 つまみ食いしていくと、

 どんどん読めるように
 なっていくものなんですよね。



■そこから池波正太郎の本に
 はまり込んでいくようになり、

 急速に思春期に向かう坂を
 登っている途上の私は、


 小学四年生にして

 『夜の戦士』

 なんかに出てくる
 濡れ場シーンを読んで、

 小さなちんこを
 勃起させたりしながらw


 だんだんと

 「大人向けの本(小さな活字の本)」

 にハマっていくように
 なりました。



■もともと、

 家庭内子ども教育の定番であろう、

 読み聞かせ、からの、子供向け文学全集や
 図鑑、年鑑と首っ引き、

 の流れには
 うまく乗っていましたが、


 『信長と秀吉と家康』との出会いに
 より、そこからスムーズに

 「大人向けの本」

 に入っていけたのは、
 私(鮒谷)にとって僥倖でありました。



■このあたりの時期について
 振り返るたびに

 (その昔、旧ソ連にレフ・ヴィゴツキーと
  いう天才心理学者がいたのですが)

 まさにヴィゴツキーいうところの

 「発達の最近接領域(ZPD)」

 の概念を思い出すのです。



■「発達の最近接領域(ZPD)」とは、


 「自分一人でできることと、
  できないこと」

 の間にある、

 適切に導かれ、
 足場をかけられることによって、

 一人でできる以上のところまで
 登っていける、


 そんな

 「学びにおける最適水準の領域」

 のこと。



■この頃、まさに、

 こうした学習プロセスが美しく
 立ち上がっていたように思うのです。


 逆に中学以降、
 急激に落ちこぼれていったのは、

 この流れから脱落したから、
 とも言えそうです。



■話が少しそれましたが、

 こうして勧められた本を読み、
 さらに父親を含む家族との対話を通して、


 より一層、歴史に対する
 興味・関心が引き出され、

 理解を深めていくこととなりました。



■もちろん父親が

 「発達の最近接領域(ZPD)」

 の概念を知って、先の本を紹介し、
 さらには対話を重ねた、

 などということは
 まったくないとは思います。



■しかし私(鮒谷)にとっては、
 結果として

 「あのタイミングにおいては、
  これしかなかったであろうと思われる本」

 を選択し、手渡されたと
 認識していますし、


 さらにこのテーマ(戦国の世)での
 家庭内で対話が頻繁になされた、

 ということで、

 以降の読書遍歴の土台が
 築かれたことは間違いありません。



■こうした出来事を契機として、

 次に父親の書棚にあった
 司馬遼太郎の全集の中から、

 『関ヶ原』を引っ張り出して読み
 (これも小学4年生の頃)、


 ※もちろん意味の分からないところは
  超速で飛ばしながら、

  ありがちですが、
  戦闘シーンとかは熟読、


  しかし正直、
  心から震えたんですよね、

  今までの読書体験とは
  まるで異質の興奮。



■このあたりから司馬遼太郎ワールドに
 はまり込んでいくこととなります。


 やがて小学校5年、6年時の
 中学受験のお休みをはさみつつ、

 中学進学後は

 『新史 太閤記』『国盗り物語』
 『城塞』『功名が辻』『播磨灘物語』、、

 から始まって、


 やがて幕末をテーマにした

 『新選組血風録』『世に棲む日々』
 『燃えよ剣』『竜馬がゆく』、、、

 と手を伸ばしていきました。

 そして『坂の上の雲』に到達。



■なんといっても

 中・高6年間の通学時間は
 往復3時間半(!)ほどもあったので、

 読書する時間には事欠かない
 (今と違ってスマホもない)ので、


 分厚くて重たい

 (一冊読み通すのに1~2週間かかる
  くらいの大ボリューム)

 司馬遼太郎全集と長い時間、
 共に過ごすことになりました。



■こんなことを書いていると、


 中学受験に合格したあとの春休み、

 たくさんの時間があるので
 司馬遼太郎全集を読み耽っていたとき、


 当時、小学生が手軽にエロ本を
 入手できるような環境ではなかったので、

 ちょっとした刺激にも
 過敏に反応してしまったのか、

 『国盗り物語』に出てくる濡れ場で
 自慰行為をしたことや、


 それゆえ中学時代、
 いかにも男子校らしく

 「司馬遼太郎で、ぶっこいた男」

 という有り難くない称号を
 頂戴していたことも、今、

 記憶の底から
 引きずり出されてきましたよw


 ※司馬先生、申し訳ございません、、、



■閑話休題。


 こうした幼少期から
 中学・高校時代を経て、

 「呼吸するように活字を読む」

 習慣が身についたわけですが、


 最初のきっかけは、

 当時は理解していませんでしたが、
 今になって振り返ると、

 これはもう間違いなく、
 両親と学校の先生から

 「言葉を操る力」

 について褒められたことでした。



■でも、これは何度でも繰り返しますが、


 『お餅の歌』も
 『カエルの歌(の替え歌)』も、

 いずれも今から顧みれば、


 他愛もない、よくある、子どもの
 思いつき程度のものに過ぎません。

 (その証拠に、文部省主催の
  コンテストの賞とかには、まるで無縁)



■それゆえ、

 両親も学校の先生も、
 おそらくはその場の「ノリ」で、

 褒めてくれていただけのことで、


 今ではきっとそのことを
 一切、覚えていないと思います。

 (今度、聞いて見ようと思いますが、
  きっとそうでしょう)



■でも、そんな一言、二言が
 周囲の状況ともに記憶され、

 「ホールインワン」

 して、

 それから数十年後の人生にまで
 とてつもない影響を及ぼしている

 (=こうして毎日、大量の文章を
   書き続けている)

 のですから、
 このメカニズムの力は侮れない。



■私(鮒谷)にとって、文章の
 読み書きという方面においては、

 この仕組みが良い方向に
 機能しましたが、


 これと同様に、
 そして今度は反対に、

 言葉を発する側も無自覚に、
 それを受ける側も無意識に、

 ネガティブな信念が
 埋め込まれてしまう、


 ということも
 十分に起こりうること。



■たとえば一つの例ですが、
 どこからどう見ても

 「好感度高そうな男性」や
 「愛らしい女性」なのに、


 どういうわけか、

 「私なんかが、、、」

 が口癖で、
 自信なさげで自尊心低めの人、

 あなたの周りに
 いらっしゃらないでしょうか。

 ひょっとしたら、
 あなた自身がそうかもしれませんね。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■とくに幼少期から思春期にかけて、    大人からの不用意な一言で    根拠なきマイナスの信念が形成される、    ということがあるものだ。   ■それはある種のバグであり、    このバグを抱えたまま、    やれ、生きていくにあたっての    OSがどうだ、アプリがどうだ、    といったところで、    その前段階にあるところの「BIOS」に    問題があれば、そこから先が起動しない。   ■根深い、自分自身に対する    ネガティブな信念が、    ひょっとすると自身の人生のブレーキに    なっているのかも、    と思う人はBIOSにバグが埋め込まれて    いないか、改めて確認すべきだろう。

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