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6201号 鮒谷がお金のことを「カネ」と、あえてことさらに表記する理由


■このメルマガではお金のことを
 あえてことさらに

 「カネ」

 と表記することが多いです。



■この表記を嫌う方も
 少なくないかもしれません。

 それを承知した上で、
 わざわざお金のことを

 (つねに、とは言わないまでも
  かなりの割合で)

 「カネ」

 と記述しているのには
 もちろん理由があります。



■それは

 「お金」

 と記述した瞬間に


 「お金に対する、
  必要以上の思い入れ」

 が発生するように個人的に
 感じられるから。

 (ただの主観です)



■お金に恵まれたいと思ったら、


 「どういう経緯で手に入れた
  お金であっても、
  お金はお金、そこに差はない」

 「お金はお金以上でもなく、
  お金以下でもない」


 という、ある種の突き放した
 認識が必要です。



■お金に過度の思い入れや
 過剰な感情を持ちすぎると

 「労働によって獲得したお金」

 「事業によって獲得したお金」

 「投資によって獲得したお金」

 のそれぞれを分けて
 考えてしまいがちになります。



■すると、どうなるか。


 「○○時間をかけて(労働して)
  稼いだお金だから、
  危険な投資に回せない」

 とか、

 「投資によって稼いだ
  濡れ手に粟のお金だから、

  盛大に使い切っても構わないし、
  ギャンブル感覚で再投資してもOK」

 などと、


 「財布や銀行口座に入っている、
  同じお金にもかかわらず、
  使い方に差をつけてしまう」

 ことになることが
 往々にしてあるわけです。



■しかしお金の本質は、

 それを手に入れるに至った
 履歴にあるのではありません。

 履歴に関係なく、
 お金はお金に過ぎません。



■手に入れた経緯に
 必要以上に引きずられてはならず、

 あくまで

 「お金はお金そのものとして
  認識する」

 ことが必要です。



■これが

 「お金を突き放して
  (主観と切り離して)捉える」

 ということ。


 これができないと、たとえば

 「パチンコや競馬で儲けたお金だから」

 と思ってしまい、雑に扱って

 「悪銭身につかず」

 を地で行くこととなることが
 あるのです(経験者談)。



■あるいは、

 「この株はいくらで買ったから、
  今、売るわけにはいかない」

 という自分視点でのみ

 (マーケットはそんな都合を一切、
  忖度しないのに)

 投資を行ってしまうことになる
 こともあるのです(経験者談)。



■お金はたしかに大事だけれども、

 「お金以上ではなく、
  お金以下でもない」

 という風に見切っておかないと、

 己の目を曇らせ、誤った意思決定を
 行ってしまう可能性が高くなる、

 そう私(鮒谷)は考えています。



■上に挙げたような話は、
 あくまで一例に過ぎませんが、

 私(鮒谷)自身が、同様のことを
 幾度も経験してきました。


 こうして身体を通して、
 ようやく

 「お金を突き放して捉える
  (主観と切り離して認識する)」

 ことの大切さを理解したのです。



■その状態を意図的に作るために、

 自分に対する戒めというのか、
 一種の儀式というのか、

 そんな意味合いを持たせて、

 お金のことをあえて
 「カネ」と表記している、

 ということです。



■それは私(鮒谷)にとっての

 「決めごと」

 に過ぎないので、


 そう呼ぶべきだなどというつもりは
 さらさらありませんし、

 勧めているわけでも
 もちろんありません。



■ただ、

 これは私(鮒谷)だけかもしれませんが、
 こうした記述を意図的に行うことで

 「よくも悪くも、たかがカネ」

 という冷めた捉え方を
 出来るようになり、

 お金に対して過度の思い入れを
 持つことはなくなりました。



■そして、

 こうした客観的な捉え方を
 することによって、

 (お金に心を引きずられることなく)

 お金にまつわる、より精度の高い
 意思決定を行えるようになった、

 という実感は、
 間違いなくあるのです。



■たしかに、こうした記述は

 「下品」

 であることは認めます。


 カネ、カネ、言っているのは
 控えめにいっても

 「お上品」

 ではなさそうです。



■カネ、と呼ぶことによって
 他者からどのように見られるか、

 を理解しているからなのでしょう、


 私(鮒谷)の友人でも、

 (仲間うちでは
  カネ、カネ、言っているにもかかわらず)

 著書や自らの持つ媒体、
 あるいは講演やセミナー等では、

 かたくなに「お金」と呼んでいる人が
 あるのですが、


 処世の術としては
 おそらくそちらが正しそうです。



■しかし私(鮒谷)は天の邪鬼なので、

 可能な限り、あらゆる面において
 あまりウラオモテを作りたくないのと、

 (ウラオモテを作るほど、実像と虚像の
  ギャップ調整が面倒になるので、

  ありのままに振る舞おう、
  というのが私の基本姿勢)


 それともう一つの理由として、

 ここまで記述してきた通り

 「お金と感情を極力、切り離し、
  思い入れを廃して扱いたい」

 という思いから、あえて

 「カネ」

 という表記を多用してきた次第です。



■つまり私(鮒谷)の脳内辞書には

 【お金】

 の項目についての説明文に

 「過剰な思い入れや感情を持つほど
  コントロールを効かせられなくなり、
  失われやすいもの」

 と記述があり、


 続けて、

 「その感情を手放すため、
  あえて『カネ』という表記に
  置換している人もある」

 と記載されている、
 ということです。



■なにもこの、

 (脳内)辞書表記が
 正しいかどうか、について、

 ここで問いたいわけではありません。

 みんな違ってみんないい、
 のです。



■ただ、私(鮒谷)個人の
 脳内辞書には、

 【お金】

 の説明がそのように記され、
 記述されている通りに振る舞っている、

 というだけの話です。



■お金という言葉もまた、

 毎日、何回、何十回と用いる
 「基本語」といえますが、

 私たちの認識(世界の捉え方と振る舞い)
 の土台となる基本的な言葉について、

 あなたはどのような定義を
 与えているでしょう。



■繰り返しますが、

 もちろん私(鮒谷)と異なっていて
 一向に構いません。

 というか、そのほうが自然です。



■ただし、

 お金についての定義を曖昧にしたまま、
 あるいは、そもそも記載がない、

 ということならば、


 お金に対する意思決定基準も
 また曖昧(あるいは存在しない)、

 ということになりそうです。



■その必然的帰結として、

 お金に恵まれる可能性は低下していく
 ことになりはしませんかね?

 という注意喚起をしている、


 そんな風に今日のメルマガを
 受け止めて頂ければ幸いです。



■こうした話は一事が万事、であり、

 私たちが日常的に使っている言葉
 (特に多様している「基本語」)

 を更新、再定義、することによって
 精度を高めていくほどに、


 人生や生活、仕事やキャリア、
 あるいは蓄財、といった面において、

 満足度も高まっていくことは
 間違いなさそうです。。



■こうしたメカニズムが
 発動しているからこそ、


 人生における、それぞれの
 側面において満たされている人は、

 そうでない人と比較して相対的に

 【語彙が豊富で、
  言葉の定義にも独自性がある】

 つまり

 【脳内にある辞書のクオリティが高い】

 といえるのではないでしょうか。



■学びとは本質的に、

 自分がいいなと思っている人生を
 歩んでいる人が

 -----------------------

 1、どんな語彙を用いているのか
 2、それらの言葉にどんな定義を与えているか

 -----------------------

 を学ぶこと、

 であると、
 私(鮒谷)は理解しています。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■私たちは言葉によって    世界を認識しているし、    言葉によってしか    世界を捉えることはできない。   ■言葉の定義を曖昧にしていたら、    見える世界も曖昧になり、    行動規範も曖昧になり、あたかも    目の悪い人がメガネやコンタクト無しで、    生活をするような状態となる。   ■それは危険極まりない。    危険を回避するためには、きちんと    度の合ったメガネ、あるいはコンタクトを    装着し、    的確に世界を捉えた上で、    次の瞬間の振る舞いを決定すべきだろう。

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