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6154号 3.11において鮒谷が多くの人から罵倒されつつも、ひたすら黙していた理由


■私たちは日常的に

 「誤解や思い込みによって
  一方的に怒りを募らせてしまう」

 といったことをしてしまいがち。

 (もちろん、私(鮒谷)も)



■ネット上で話題に上るテーマに対して
 日々、起こっている

 「掌(てのひら)返し」

 なんかは、まさにそれ。



■あるときまで、
 圧倒的多数が寄ってたかって

 「こいつが悪い、諸悪の根源」

 みたいに

 特定人物や特定組織などに
 集中砲火を加えていたところが


 「新事実判明!」

 となった瞬間、

 手のひらを返して
 なにも言わずにそっと消えていく


 (今まで、あんなに多くの人が
  攻撃していたはずなのに、
  あの人たちは一体どこに、、、)

 といったことを日常的に
 目撃いたします。



■よくよく見てみると話題になっている
 テーマが繊細であるほど、

 人々は過剰反応を起こすように
 見受けられます。

 今であれば、コロナについて。



■うっかり何か余計なことを言ったり、
 行ったりしてしまうと

 「とんでもないことに
  巻き込まれるのでは」

 そんな心配を持っている人も
 少なくなさそうです。

 (特に自らのメディアを
  運用している人などはそう)



■一方で、

 一つ新しい情報が出るたびに
 論評が始まりますが、


 「自分が正しい」

 という前提で発信している人が、

 (意図してなのか、
  そうでないのかは分かりませんが)

 「自らが煽動者的な存在」

 となって、

 その他大勢を味方につけて
 議論をリードしようとする、


 といったことも
 頻繁に見受けられる構図です。



■今はリツイートとか
 シェアなどを通して、

 一つの意見が爆発的な拡散力を
 持って広がることがままあるわけで、

 内容によっては、1時間単位で
 話題の内容が急激に変化していく、

 なんてことも珍しくありません。



■そんな状況を目の当たりに
 することはあっても、

 少なくとも、私(鮒谷)自身は

 そうした輪に絶対に加わらぬことを
 信条として生きてきました。



■当事者でもない自分
 (=事情の全貌を把握していない自分)が、

 ごく一部の、目に入ってくる
 情報だけで誰かを断罪したり、

 誰かの意見に与する
 (リツイートやシェアで同意を求める)

 といったことを行い、

 それで他の人に実害を与えたら
 取り返しがつかないから。



■そんな、醒めた傍観者の立場から
 世の中を眺めていると、

 そして、あえてめちゃくちゃ
 失礼な例えで表現するならば、


 上に記したような事象
 (時々刻々に燃え広がる炎上事例)は

 「イナゴの大群が
  エサ(=話題)に向かって、

  あっちへ行ったり、(エサが尽きては)
  こっちへ行ったりを繰り返している」

 ように見えてしまいます。



■明確な根拠も、大した思索も、
 責任を取るつもりも何もなく、

 それこそノリや雰囲気、あるいは
 ストレス発散目的の一時の感情等で、


 時々刻々に対象を変えては
 非難攻撃を繰り返す、

 こうした流れからは可能な限り
 距離を置こうと、

 意識してきたつもりです。



■こうしたスタンスを堅持するように
 なったのは、私(鮒谷)自身が

 「いわれなき、非難攻撃の
  矢面に立たされたことがあるから」

 です。

 それも一度や二度ではなく、
 幾度も。



■たとえば、

 メルマガ創刊当初、日々の思いを
 発信をしていただけの頃から、


 そろそろ収益化を、と考えて、

 セミナー開催やメルマガ広告の
 事業を立ち上げたとき


 「カネ儲けの匂いがしなかったから
  読んでいたのに、

  メルマガを使って、
  ビジネスをし始めるとは何ごとか、

  もう二度と読まん」


 といった攻撃口調のメッセージを
 頂戴することが増えました。



■そんなメールを読んで


 「いやいや、私はメルマガを書く以外に
  他の仕事をしていないのだから、

  メルマガ使ってビジネスするなとか、

  他に食い扶持のない俺に
  死ねと言っているのか」


 なんて思うわけですね。



■でも、その人にはその人なりの

 「(かくあるべしという)正解、正論」

 があるのでしょう。


 そして、自分が正解から逸脱していると
 認めると攻撃せずにはいられなくなる、

 という、、、



■メルマガを配信していると、

 こうした「理不尽」を
 日常的に経験することとなりますが、


 それによって


 -----------------------

 【自分から他者を眺める目線】

 と

 【他者から自分を眺めている目線】


 さらに、両者の目線を
 行き来させることによって得られた

 【自分と他者を等距離において
  眺める第三者の目線】

 -----------------------


 という3つの目線を
 手に入れられたので、

 そういう意味では
 心から感謝しているわけですが。



■ある程度、多くの人に、
 それなりの頻度で発信している人は、

 少なからずこうした経験を
 してこられていることでしょう。

 (そしてコミュニケーションについて
  思索を深める機会も格段に増えたはず)



■先の事例以外にも挙げれば
 キリがないのですが、たとえば、

 音源ビジネスをスタートしたときも
 同じようなことが起こりました。


 事業を推し進めようと
 アクセルを踏むと

 「その方向は明らかに間違っている、
  お上品ではない」

 と強い口調で、指摘(叱責?)
 下さる方があるわけです。



■でも、各人それぞれに「背景」が
 あるのです。

 私(鮒谷)にも、私を取り巻く
 背景や環境があります。



■もし(仮に)音源ビジネスが

 「お上品」

 なものではなかったとしても、


 私(鮒谷)が何らかの事情によって、

 何億どころではない単位のカネを
 必要とする出来事に巻き込まれ、


 ある時までにその金額を稼ぎ出さなければ
 とんでもない事態

 (たとえば自身や家族の
  命の約束がされないとか、
  社会的な生命が絶たれるとか)

 が惹き起こされる、


 そんな環境に
 身を置いていたとするならば

 「四の五の言わずに
  猛然と稼がなければならない」

 ということに、

 共感や同意はできなくとも
 理解はできるのでは。



■同時に、


 そうしなければならぬ理由を
 不特定多数に公開する必要がなければ、

 あるいは、それを外部に対して
 公開することによって、

 私にリスクが生まれるとか、
 不名誉なことであったとしたら、


 当然、その理由を
 私(鮒谷)が語ることはありません。



■ただし、外部にそうした理由を
 告げることはなかったとしても、


 どうしても稼がなければならない
 理由が存在するのなら、

 短期間でできる限り、高い収益を求めて
 ビジネスに注力するのは当然のこと、


 と思われないでしょうか。


 (あなたが逆の立場ならどうですか、と
  問うてみたい)



■たとえば、
 これまた仮にの話ですが、


 私に子どもがいるとして
 子どもが重篤な病に罹っており、

 海外でのみ、適切な治療を
 行ってもらうことができる。


 治療はすべての費用を込みにして
 ○億円がいついつまでに必要、

 しかし募金には頼りたくない。


 そのまま放置していたら
 近いうちに亡くなるから、

 できるだけ早くに、
 なんとか必要な金額を稼ごう、


 そんなことがあったとしたら、

 どんな人もビジネスに邁進する
 私を責められないし、

 責める権利も資格もない、
 と思われないでしょうか。



■他の(仮に)の話として、


 私がアンダーグラウンド系の人から
 法外な借金を背負わされ、

 いついつまでに○億、稼がないと、
 一族郎党、簀巻きにして東京湾に沈めるぞ、

 と脅されていて、


 あるいは、アングラ系でなくとも、

 昔々に、連帯保証人の判をついてしまい、
 周囲に迷惑かけられないから、

 いつまでに○億、返済するために、
 命がけでビジネスをせざるを得ない、


 そんな状況にあったとして、
 それを理解できれば、

 私(の行動)に対する認識は
 また異なって見えることでしょう。



■以上は極端な例ではありますが、
 これらに類することも含めて

 「自分が見えていないだけで、
  そうした行動をとる理由がある」

 ということを意識するだけで

 「一方的な断罪」

 などできなくなるのでは、

 ということを言いたいのです。


 (よほど身近な人以外、
  誰も私の背景など知りようがないのだから、

  以上のような話を読んで

  「そんなはずはない」

  などと100%、切って捨てられる人は
  一人もないはずです。



■要するに

 「一方的な断罪」

 を行う人は想像力が
 欠如しているのでは、

 ということ。



■これまでの経験から推測するに

 「一定以上のストレス&想像力の欠如」

 のコンボが一方的な断罪に
 つながるように思われます。


 (まあ、それでストレス解消になるのなら
  それはそれで社会貢献かもしれませんが、

  あんまりそういう方面での貢献は
  したくないものです)



■話はそれましたが、人にはそれぞれ

 「そういう行動を行わざるを得ない
  背景」

 があるのです。

 少なくとも、どんな人にも
 そうしたものが存在する可能性がある。



■そんな背景の存在に思いを致さずに
 短絡的なコミュニケーションを取る。


 こうした姿勢が身についてしまうと、
 一事が万事、となってしまうから、

 「つねに他者を断罪しまくる」

 ことが習慣になってしまいます。



■こうした習慣によって
 世界がどんどん閉じていってしまう人、

 あなたの周囲にもいないでしょうか。

 案外、少なくない割合で、
 見かけられるように思います。


 その中には、

 「ぱっと見、
  普通に社会人生活を営んでいる」

 人も珍しくありません。



■先に挙げたいくつかの話は
 極端な例ですが、

 あらゆるコミュニケーションにおいて、
 食い違いは100%、起こるもの。


 互いの背景が完全に共有されている、
 などという状況は100%、存在し得ない、

 (たとえ同居している家族間でさえ)

 わけですから、

 認識の違いは100%、
 起こるのです。



■ただし、たとえ多少の食い違いは
 あったとしても、

 齟齬が小さければ問題にならない
 (なりにくい)けれども、

 大きければトラブルとして
 顕在化する可能性がある、

 ということ。



■いずれにせよ、構造的には

 「あらゆる人間関係において
  トラブルのタネは内包されている」

 ことがお分かりだと思います。


 この構造を理解しているだけで

 「人間関係において、
  しでかしてしまう」

 可能性は随分と減じられるのでは
 ないでしょうか。



■私(鮒谷)は毎日、

 数千文字の文章を発信し続けて
 20年近く経ちますし、


 コミュニケーションの構造は理解し、
 また慣れているつもりでもありますが、

 それであっても

 「まじ勘弁してくれよ」

 「もう少しコミュニケーションについて
  学んでもらいたい」

 と思うことは、しばしばあります。



■ここまで書いた勢いで、
 私が経験した他の事例も挙げますが、

 たとえば9年前の震災(3.11)の
 ときには、こんなことがありました。


 私(鮒谷)は、福島の原発が
 爆発したことを報道で知り、

 その1時間半後には、

 非常用の避難袋として前もって
 準備していたリュック一つを背中に担ぎ、

 新幹線に乗って
 西に向かっていました。



■具体的には大阪に行きました。

 さらに数日後には、
 さらに西(福岡)に向かいました。


 今から考えれば、

 皆が皆、神経が過敏になり、
 平静でいられなかった時期ですから、

 こんな話は言わずもがな
 (書かずもがな)の話、

 だったのかもしれませんが、

 「大阪に行きました→今は福岡です」

 と書いてしまったわけですね。



■今いる場所から
 離れられなかった方からすれば、

 心中、穏やかではいられなかったのかも
 しれません。


 それを読んだ人から、

 「なぜこの時期に
  お前は西へ行くのか、

  ボランティアで
  東(東北)に行くべきだろう」


 あるいは

 「もっともっと西へ行って
  そのまま海外へ行き、
  二度と日本に帰ってくるな」

 といった強硬なメッセージも
 届きました。


 他にもここに載せられないような
 たくさんのメールをもらいました。



■でも、こうしたメッセージを
 送られた方は、

 私の意思決定を下した背景、
 すべてを理解した上で、

 そのような文章を
 送られてきたのでしょうか。

 きっと、そうではありませんね。



■もし仮に、ですよ、

 私(鮒谷)が父親として
 生まれたばかりの0歳の乳飲み子を抱え、

 一人で、彼(あるいは彼女)を
 危険から守らねばならない、

 という状況であったとしたら、
 どうでしょう。


 背景事情を認識していれば、
 そんなメールは送らなかった、

 という人もあったと思うのです。

 (繰り返しですが、
  あくまで仮定の話です)



■そして、

 そんな話はメルマガにおいては
 言う必要のない話ですから、

 あえて書いていなかった、

 ということだってあり得えます。



■現実には

 -----------------------

 私(鮒谷)が父親として
 生まれたばかりの0歳の乳飲み子を抱えて、

 一人で、彼(あるいは彼女)を
 危険から守らねばならない

 -----------------------

 という状況ではありませんでしたが、


 それ以外の、

 メルマガには書く必要がない、
 あるいは書けない、書きたくない、

 (しかし、どうしても
  西へ行く必要がある)

 そんな背景があったかもしれません。


 正直に言えば、実際にあったのです。



■でも、そんな背景・事情は

 (語っていなかったから
  当然かもしれませんが)

 何の理解も斟酌も忖度もされることなく、


 一方的にサンドバッグのように

 「ただ、西へ行った」

 という事実のみを見た人から
 非難・攻撃・罵倒のメールを受け続ける、

 といった理不尽を経験しました。



■では、そこで改めて、

 理解してもらえるよう、個人的な
 背景事情を説明すればよかったのか。

 私としては、そんな選択は
 ありえませんでした。



■そんなことを書いたところで、


 あの不安や恐怖のさなかにおいて
 冷静さを失われている、

 怒りの目線で私の振る舞いを
 一点凝視している人からすれば、

 「タダの言い訳」

 にしか見えないだろうから。



■余計なことをいうよりも、
 と考えて、

 甘んじてタコ殴りにされるがままに
 しておきました。


 当時は(そして、今も)
 それが最善の策だと思ったから。



■ごく一片の情報に基づき、
 タコ殴りしてくる人に対して、

 わざわざ自分のプライベートや
 正直な内面を差し出すほど、

 私はお人好しではありません。



■当時、こうしてタコ殴りにされながら
 考えていたことは、

 「ああ、こうした現象は、

  震災のときだろうが、
  そうでなかろうが、

  いつも繰り広げられている
  いつもの光景だよな」

 ということでした。


 そして、たまたま今は、
 こういう時期だから、

 この構造が顕在化しやすく
 なっているんだな、

 ということも。



■私を罵倒する人は、


 その方々が見えている
 世界(真実)に基づき、

 殴りつけているのだから、
 別に責めはしないし、

 そういうものなのだろう。

 (状況が変われば、
  私だって行いかねない)

 と思っているから、


 正直に言うと、腹が立たないわけでも
 ありませんでしたが、

 そこに心が持っていかれて気に病む、
 といったことは一切ありませんでした。



■それまでの経験からも、

 そうした人が
 一定割合で存在するというのも

 「まあ、分かる」

 という醒めた視点があったから。



■そして詳しい理由を開示しなかった
 もう一つの理由は


 「ある事象の一面のみを見て、
  断罪する見ず知らずの人に対して、

  これ以上の情報を
  私が開示する必要などない」


 「開示したところで、どうせまともな
  コミュニケーションを図れる人ではない」


 と判断したからです。



■私(鮒谷)の認識においては、


 まともにコミュニケーションを
 図れる人であれば、

 絶対に、情報の断面のみを切り取って
 全てを理解したつもりにならない


 (したがって断定、断罪という姿勢を
  コミュニケーションにおいて
  決して取らない)

 と考えていますので、


 「断定、断罪系コミュニケーション」

 を行ってくる人とは、金輪際、
 付き合うことはないと決めています。

 (蛇足ですが、そうした主義を貫くと
  著しくQOLは向上します)



■どんなときでも

 「(自分の理解していない状況が背景に
  存在している可能性はゼロではない」

 と考えて、

 人間関係の構築を図るのが
 コミュニケーション巧者です。



■側(ガワ、現象)だけを見て断罪する、

 そんな人があったとすれば
 その姿勢は一事が万事ですから、

 すべてのコミュニケーションにおいて、
 同様のことを行われているんだろうな、

 と推察されます。


 そんな人と積極的に関わりたいか、
 ということです。

 私(鮒谷)はまっぴら御免です。

 (だから一切、関係を持ちませんし、
  持つつもりもありません)



■同時に

 「私はそうした人間には
  絶対にならない」

 という強い意志を持つことで、

 コミュニケーション能力は
 格段に高まった、

 そんな自覚もあるのです。



■いろいろ書いてきましたが、
 しょせん、この世は

 【同床異夢】

 であると思っています。

 同じ世界を生きながら、
 異なる景色を見ているのです。


 私たちが関わる人について
 完全に理解できることはないし、

 関わる人から
 完全に理解してもらえることもない。



■もし、それができる人があると
 思っていたり、

 そうしたことを
 期待する人があるならば、


 その人のコミュニケーションは

 「夢見る夢子ちゃん」
 「夢見る夢男くん」

 つまり、小・中学生レベルの水準、

 といっても当たらずとも遠からずで
 ありましょう。



■ただ、体だけは立派な大人でも

 「夢見る夢子ちゃん」
 「夢見る夢男くん」

 は少なくない、

 というのが、
 長年、情報発信してきての、

 偽らざる思いではあります。



■以上のような前提で

 「世の中とはそういうところ」

 であると、


 醒めた目(引いた視点)で
 世の中を眺めることによって、

 案外、コミュニケーションのレベルは
 格段に向上するものだったりするものです。



■これまで、

 (発信する人数も頻度も多いので
  当然ですが)

 おそらくは平均的な人より
 はるかに多く、

 いろんな面倒ごとに
 巻き込まれてきましたが、


 結果として

 コミュニケーションについてひたすらに
 考えざるを得ない環境に身を置いてきた、

 とも言えそうです。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


【今日のピークパフォーマンス方程式】  ■一定以上のストレスを抱える、想像力の   欠如した人が、   ある情報の一断面のみを捉えて   ストレス解消を兼ねて発言、発信すると、   その形態は「断定、断罪」となることが   多いように思われる。  ■背景事情を理解できれば、共感や同意は   しなくても理解はできる、ということも   あるだろう。  ■しかし背景事情を理解せず、知ろうとも   せず、知る必要も認めることなく、   一方的に切り捨てることに快楽や   心の浄化を見出す人は少なくない。  ■こうした振る舞いは、一時的には精神的な   安定をもたらすがしれないが、   麻薬と同じで徐々に   コミュニケーション力を減衰させ、   人間関係を閉じたものとし、ひいては   自らの運命を閉じていくこととなる。

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