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5378号 教師の熱狂だけが、教育という「絶望的な営み」を可能性に変える

■今日はめちゃ、深い話をいたします。
 心してお読みください。


 いつもメルマガで書いていることですが、

 【すべての学びにおいて、

  その価値や意味や喜びは、
  事後的にしか分からない】

 ものです。


 本当に価値ある学びは、

 「これを学んだら、これだけの価値が
  得られるはずだから学んでみよう!」

 という流れから、
 生まれるものではありません。



■はじめは、

 ときに親から、ときに先生から、
 ときに先輩や友人から、

 「わけもわからないけれども、

  導かれるようにして、
  わけのわからない学びを始める」

 のです。これが学習の事始め。



■たとえば、
 学校でわけも分からず、先生から

 古文・漢文の勉強をさせられ、
 歴史の勉強をさせられ、

 数学の勉強をさせられ、
 化学の勉強をさせられ、


 あるいは家庭内でわけも分からず、
 親から

 音楽の世界に触れさせられ、
 絵画の世界に触れさせられ、


 をしていくうちに、
 いつの間にやら徐々に(事後的に)

 「あれ、これ面白いかも」

 という分野が浮き彫りになり、
 主体的な学習が発動されるのです。



■ここでのポイントは

 【はじめからその面白さを分かっていて、

  当該分野の勉強を主体的に始めようと
  思ったのではない】

 というところ。


 つまり、どんな分野に対して興味関心を
 持つことになるのかは、

 【先生も親も、もちろん本人も、
  はじめはなんにも分かっていない】

 ところから、学びは始まるのです。



■たとえば、私(鮒谷)は、今度

 --------------------------------------

  【<少人数・双方向性放談会>

  あなたの「お金についての思い込み」を
  完膚なきまでに打ち壊し、

  お金に対する認識がもたらしてきた、
  経済的制限や束縛からあなたを解き放つ放談会】

 --------------------------------------

 という放談会を開催するわけですが、


 「この放談会は、
  私にとって役に立つのでしょうか?」

 と聞かれても、私が真摯に、誠実に
 回答しようとするならば

 「それは分かりません」

 と答えるよりほか、ありません。

 そして、それが教育というものの本質です。



■先述のように


 ある人が、どんな分野に対して興味関心を
 持つことになるのかは、

 【先生も親も、もちろん本人も、
  はじめはなんにも分かっていない】

 ところから、学びは始まるものなのです。



■一例を挙げれば、
 たとえば高校において、ある先生が

 「物理学の魅力」

 について熱狂して全身全霊で語り、

 それがきっかけとなって
 教え子が物理の道に入り、

 長じて、彼(あるいは彼女)が
 世界を代表する物理学者に
 なったとしましょう。


 そこまで至ったということは、物理の魅力に
 寝食忘れてハマりこんだ、ということですが、

 それほどの魅力を、生徒は高校時代に
 感じていたと思われるでしょうか。



■もちろん、一定の魅力を感じ、
 それがきっかけとなって、

 大学入学、さらに卒業して以降も
 物理の道を歩むことになったわけですが、

 真に物理学の持つ、深遠な魅力・世界に
 興奮し、没頭し、夢中になり、

 すべてを捧げようと思った、

 【そのレベルでの学びの喜びの存在は、
  事後的にしか分からなかったはず】

 ですね。



■これなどは一つの例ですが、

 何かの世界に没入していった人は、
 例外なく、

 【分かってから始めたのではなく、
  分からないところから始めた】

 ところから、
 段々と引き込まれていったのです。



■それが学びの本質であるにもかかわらず、

 【その分野に対して、
  学ぶ意味も喜びも見いだせないから、

  一切、勉強しませんよ】

 ということは、土台、

 【学び、という営みの根本を理解していない】

 ということです。


 根本を理解していないのだから、
 学びに対して、

 いつまで経っても、意義も意味も
 喜びも楽しみを感じられるはずがありません。



■それゆえ、

 学ぶ気も起きないから実際に学ばず、
 結果も出ないし、

 ますます学ぶことそのものを否定する。


 その結果がどうなるのかは、
 推して知るべし、です。

 残念なことではありますが、、、



■真摯に教育に携わっている人たちは、
 みな、この矛盾に気づいています。

 本来、事後的にしか分からない喜びを、
 今、なんとか分からせようとしている、

 ということを。


 そして、学習者は反対に、

 事後的にしか分からないことを、
 事前に(今)分かりたいと思っているし、

 今、分からないものは勉強したくない、
 と考えている、

 のです。



■かくして、教育は

 「教える側と教わる側」

 の間に真逆といえるくらいの認識の相違がある
 ところから始めなければならない、

 という

 【とてつもなく大胆で無謀なチャレンジ】

 となるのです。



■この認識のギャップを
 乗り越えてもらうためには、


 教わる側が


 【なんだかわけも分からないけれども、

  この人(教える人)は私(教わる人)に対して、
  何か大切なことを伝えようとしているようだ、

  ということを全人格的なレベルで
  訴えかけていることが感じられる】


 ところまで教える側が、
 全力でぶつかるしかありません。



■ここにおいて、ようやく

 【そこまでいうのなら、

  なんだか、わけも分からないけれども、
  一歩前に、足を踏み出しましょうか】

 ということになり、

 向う側にある、豊穣な世界へと
 導かれていくこととなるわけです。


 つまり、伝える側からすれば、

 【伝え手の熱狂によって、
  そこに何かがあると感じさせるより他にない】

 【教師の熱狂だけが、
  教育という「絶望的な営み」を希望に変える】

 のです。



■でも、

 こうやって最初のハードルを乗り越えても
 次のハードルがやってきます。

 それが

 【学ぶ人と、その分野との相性】

 です。

 せっかく教師が熱狂して伝えても、
 当人の資質、能力、価値観、その他によって

 【相性が合わなかった】

 ということが往々にしてあるのです。



■この

 「不確実性」

 が教育という営みを、
 さらに難しいものとするのです。


 言葉を換えると、伝える側は事前に、

 「これを学べば、
  あなたは絶対にこれを得られます」

 と断言はできないということ。

 上述の通り、対象となる分野との相性が
 ありますからね。


 これが

 【教育に内包されている、
  構造的、絶対的な矛盾】

 です。



■ここまでのことが理解された方は
 もうお分かりのことでしょう。


 【真に偉大なる学び手】

 は、以上をすべて承知した上で、あえて

 「この人から学んでみよう」

 と一歩を踏み出せる人なのです。



■この人は、


 【学びにハズレがあるのは当然】

 【ハズレを織り込まない学び方など
  あるはずがない】

 【むしろほとんどハズレ、でもごくまれに、
  人生を変える流れ弾に当たることがある】


 という世界観で、前に進むから、


 ここにおいてかえって、

 教える側と教わる側との波長が合い、
 相互理解が進み、

 (教える側にリラックスが生まれ)

 【教育に内包されている、
  構造的、絶対的な矛盾が克服される突破口】

 が開かれることとなるのです。



■そんな事を考えながら、
 私(鮒谷)は日々、

 「広義の教育産業」

 に携わっているわけですが、

 悲しいことには、この思い、
 なかなか分かってもらえないのです。

 ここまで言語化するのも大変でした。



■でも仕方ありませんね。


 そもそも

 【教育に内包されている、
  構造的、絶対的な矛盾】

 が存在するわけであり、それゆえ

 【とてつもなく大胆で無謀なチャレンジ】

 であるわけですから、、、



■そんな困難な挑戦を、
 以下の放談会においても行おう、

 と思っているわけですが。

 【伝え手の熱狂によって、
  そこに何かがあると感じさせるより他にない】

 という強い信念を持って。


 願うらくは、
 ここまでの話を理解してくださるような

 【真に偉大なる学び手】

 とお目にかかれんことを期待しております。



■もしあなたが、

 上記の話を読み、一定の同意や共感を
 感じてくださるのであれば、

 何かを掴み取ってお帰り頂けるのでは
 ないでしょうか。


 ハズレの確率がないかといえば、
 それは保証の限りではありませんが。

 ただし、既述の通り、
 それが教育の本質です。


 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■真に価値ある学びは、事後的にしか、    それと気づけない。   ■真摯に何かを伝えようとする側は    この事実を認識しているけれども、    学び手の側は往々にして、この事実に    気づけず、    「学ぶ意味が分かってから、学びます」    ということになりがちだ。   ■けれども本当は、学んだからこそ、初めて    その意味が分かるわけであり、    ここに教育の絶対的な矛盾や困難が    内包されているのである。   ■この壁を乗り越えるためには、   【教師の熱狂により、そこに何かがあると    感じさせるより他にない】    のかもしれない。

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