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5216号 【 感受性を乾かさぬための水やりを 】


■一年のうちで街が最も華やぐ、
 この季節が巡ってくるたび、

 恵まれていた少年時代のことが
 思い起こされます。


 冬休みに入ってからの、

 年の瀬からお正月にかけた密度濃い、
 いろんな行事の思い出は凝縮され、

 日常とは異なる高揚感や非日常感といった
 感情と結び付けられた形で、

 記憶の倉庫に格納されています。



■それが街の飾り付けやら、イルミネーションやら、
 家族連れで出歩く人たち、

 といった「触媒」に触れることで、
 思い出が吹き出してくるのです。


 私に懐古趣味はないし、
 わざわざ思い出そうとしているわけでもないのに、

 それでもしばしば、こんな風に幼年期から少年期の
 ことが思い出されるのは、どうしてなのでしょう。



■やり直しのきかない過去を振り返っては
 後悔、煩悶したり、

 先行き不透明な未来に思いを致してみては
 憂うといったこともなく、

 「ただ、今の感情」のみを感じ、
 味わいながら生きていける、

 人生で最も幸せな時期だったから
 なのかもしれません。



■話は変わりますが、

 最近、強く感じるのが、
 その頃の記憶を想起しては、

 より自分にとって価値を感じられる意味を
 与えるほどに、

 それ以降、今に至るまでの人生が
 すべて肯定されていくという感覚。



■幼いときには、ただ当たり前のものとして
 受け止めていた、

 家族や親戚、近所の人たち、
 学校の先生や友だち、

 お稽古ごとやいろんなイベントで
 可愛がってくれた大人たち、

 そこで知り合った友人たちとのやり取り。


 それらの一つ一つに対して、
 ただ懐かしむだけではなく、

 思い出すとともに新たに、
 より肯定的な意味を付与することによって

 (=過去の出来事一つ一つを、特に情緒的、
   感情的側面において書き換えることによって)

 そこから今に至るまでの人生すべてが、
 一層強く肯定されていく、

 そんな実感があるのです。



■先日、大阪に住んでいた頃の、昔の家から
 中高時代の通知簿が見つかった、

 という話を書きましたが、
 この話には実は続きがありました。

 同時に小学校時代の6年間分の通知簿も
 一緒に出てきたのです。



■担任として幾人かの先生方にお世話になりましたが、

 特に小学校3年生のときの高橋正子先生、
 そして小学校5、6年生のときの重松昭生先生、

 のことは、よく覚えています。


 中でも担任の産休であったかで、
 代わりにいらっしゃった新任?臨時教員?の、

 おそらくは20代前半、先生になりたてだった
 (と思われる)高橋先生には、

 とても可愛がって頂きました。

 美しい方でした
 (私が初めて恋に落ちた女性です照)。



■小学校1、2年の頃は、

 これは!、という特技がないこともあって、
 子どもなりに自信が持てないことに悩み、

 毎日、なんとなく鬱々とした気分で
 過ごしていましたが、

 3年生となり、高橋先生が担任になられてから、
 見違えるように元気になりました。



■いつも私のことを気にかけ、
 声をかけて下さり、

 クラスの中心キャラの一人としての役割を与え、
 放課後、みんなが帰ったあとの校庭で一緒に遊び、

 内緒でジュースを買ってくれて、
 一緒に飲みながら帰ったり。



■テストを早めに終わったときには
 他にやることもないので、

 答案の裏側に、その時々に読んでいた本や図鑑から
 学んだことを書き付けていたのですが、

 いちいち、それらについても取り上げ、
 褒めて下さったりといったこともありました。


 そういえばクラスの友だちと喧嘩し、
 泣かされた私を、屈んで抱きしめ(!?)、

 慰めて下さったこともありました。



■高橋先生とのご縁はたった一年だけでしたが、

 いろんな思い出の詰まった、
 他のどの一年よりも密度の濃い一年でした。

 お別れのときには凄く悲しかった
 思い出があります。


 そんな高橋先生から頂戴した通知簿に記された、

 (=お別れの)コメント
 (=一年間を通しての私に対する総評)は、


 「ひょうきんなところがあり、
  みんなから好かれています。

  本を読むのが好きで、
  知識欲もさかんで大変よろしい。

  学級委員としての自覚がまだないので
  もう一息ですが、

  何事も頑張ってすればする程、
  伸びる可能性を秘めた、将来が楽しみな子です」


 というものでした。



■ここに記されている言葉だけだと
 うまく伝わらないかもしれませんが、

 一年間、接して下さった先生の態度、振る舞いと、
 この言葉を紐付けて考えたとき、

 先生から受けた深い愛情が
 深い臨場感を伴って思い出されるのです。


 まさにまだ幼かった私という存在を、

 一個の人格として認め、
 将来を期待する姿勢で接して下さったことは、

 その一年間のみならず、その後の私の人生に
 少なからぬ影響を及ぼしたことに間違いありません。



■今から考えると

 「何かを教えてくれる人」

 も有り難い存在ではありますが、
 それ以上に

 「自分の存在を全肯定し、
  自信を持たせてくれる人」

 こそが、より尊い存在なのではないかと思うのです。


 おそらく20代前半であったであろう
 新任の先生ですから、

 もちろん、たいした教育経験もなければ
 教育技術もなかったことと思います。



■でも、そんな先生との出会いによって
 私の人生が豊かに彩られ、

 のみならず、生きる上での基本的な姿勢まで
 形作られたのですから、

 「先生」という仕事は大変ではあるけれども、
 人の人生を左右することもあるほどの、

 価値ある、素晴らしいものだと
 思わずにはおれません。



■高橋先生が与えて下さった自信や生きる歓びは、
 今なお、私の中に息づいていますし、

 それは今、私が人と接する上での思いにも
 反映されているようにも思われます。


 こんなふうに書きながら、

 やっぱり冒頭に記した通り、
 ふと思い出された過去の出来事に対し、

 新たな意味を与えて(あるいは意味を強化し)
 顧みることを繰り返すことによって、

 人生や生活が豊穣になっていくものなのだ、
 そんな感懐を覚えます。



■茨木のり子さんの有名な詩

 「自分の感受性くらい」

 の書き出しは


 「ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて」

 から始まりますが、

 過去を振り返り、新たな意味を与え(あるいは強化し)、
 記述する、

 こうした営みはまさに

 「感受性を乾かさぬための水やり」

 としての役割を果たすものなのかもしれません。


 ※こちらにも掲載

 【感受性を乾かさぬための水やり】
 https://note.mu/funatani/n/n7f97cc3534e7

 高橋先生は、現在、どこで何をしていらっしゃる
 のだろうと、今でも時折、思うことがあります。




 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!


 【今日のピークパフォーマンス方程式】   ■過去の出来事を再解釈(新たに意味付け)    することによって、    より人生を豊穣なものに転換させることが    できるだろう。   ■過去の出来事の意味付けを振り返っては    逆転させる、強化させる、    といったことを繰り返すうちに、    自己肯定感も強化され、自信もつき、    なにより人生は素晴らしきものである、と    全肯定して受け容れられるようになる。

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